8月盆を終えて

いやはや毎日お暑うございます。
猛暑と豪雨が入れ替わり立ち替わりの日々、いかがお過ごしでしょうか。

当山の建つところは7月盆の地域ですが、一部のお檀家様に於いてはこの時期にお盆を迎え、お参りをいただいております。
浜松は7月だけでなく、場所によって月遅れ8月の盆を迎える町村も混ざっておりますから、少し調べてみると通りや区画で非常に細かく分かれており、複雑なのです。

8月14日には、隣町の中野町にて花火大会が開催されました。
正確に言えば同町の氏神様の夏祭り三箇日の中日で行われる行事だそうですが、打ち上げ花火は鎮魂のためにと始まり発展したもので、お盆行事でもあるわけですから、いろいろな意味を内包した祭典ということになります。
そして今回はコロナ禍の影響で「3年ぶりの打ち上げ花火」ということも手伝って、久々の盛況ぶりが、当山正面を通る県道に並ぶ車列と、その脇を行き来する観客の多さに表れていました。
ちなみに終戦記念日でもある翌8月15日、今年はなぜか黙祷を号令するサイレンが聞こえなかったような気がします。
いわゆる「騒音の問題」でもあったのでしょうか、不思議です。
天皇皇后両陛下による戦災慰霊式典の録画がネットに上がっていたので、事後的に拝見し、弔意を捧げました。

子供達の夏休みもあとわずかですね。
月の後半にさしかかり、境内には幾つもの蝉が腹を向けて転がっており、いつしか蜻蛉のほうが多く舞っているような気がします。
ご家族やお友達と、思い出はたくさんできたでしょうか。

お彼岸を迎えて


今日は彼岸の入りですね。
お彼岸は、春分および秋分の日をお中日として、全後3日間ずつをあわせた計7日間をいいます。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるように、季節の変わり目にあたり、いのちの尊さや自然の恵みに感謝しながらご先祖様を供養する行事として、古くから行われてきました。
この期間中、全国の寺院では彼岸の法要が営まれ、また各家庭では「だんご」「おはぎ」「ぼたもち」などを仏壇に供え、そろってお墓参りに出かける光景が見られます。
お彼岸は、私たちにとって大変に馴染みの深い、欠かすことのできない年中行事と言えるでしょう。

この「彼岸」という言葉は、私たちが生きているこちらの世界(此岸・しがん)の対義として、貪りや囚われの無い「悟りの世界」を表しています。
苦惑にまみれたこの世がこちら側ならば、そこから抜け出た安らぎの園はあちら側「彼の岸・彼岸」ということになるのですね。
それでも私達は彼岸を、我が身我が心と共に、現代に生きながらにして求める他ありません。
だからこそ普段の行いを戒め、誠実になることで、少しでも迷いを脱して生きていこうと願い行動する、そのための修行期間が「お彼岸」なのです。

自己を見つめ直しましょう。
今日を生きられる有難さを、家族や友人とまた会える喜びを、その合わせた両手に込めて、お参りに出かけませんか。