父の日

というタイトル通り、本日は全国のお父様方が(唯一?)主役になれる日?でございます。
誠におめでとうございます。
そう言えば自身の誕生日を明確に祝ってもらった記憶すら相当過去なので、年に数回あるかないかの貴重なイベントなのは間違いないですよね。
しかしこの「父の日」ですが、いったいいつ頃から世間で取り沙汰されるようになったのだろうと思いまして、ちょっと調べてみました。

どうやら日本では1980年代以降から初めて一般化したようです。
それこそ私の生まれた頃がこの文化の出発点だったのかと思うと、そんなに歴史の深くない記念日なのですね。
しかし発祥は日本ではなくアメリカにあるそうで、1900年代初頭のあるキリスト教徒さんの、愛する父へ日頃の感謝を伝えたいという思いから始まった行事だそうです。
それが戦後間もない1950年頃に、欧米の技術や文化とともに海を越えてやって来て、その後の高度経済成長期にて生活水準の変化にあわせて一般庶民に馴染んだものなのです。

兎にも角にも、世のお父様方へ。
毎日お疲れさまです。
今日はちょうど日曜日ですし、ご家族でお出かけするも良し、お家でゆっくり過ごすも良し。
楽しいひとときをお過ごしいただければ幸いです。合掌。

お彼岸を迎えて


今日は彼岸の入りですね。
お彼岸は、春分および秋分の日をお中日として、全後3日間ずつをあわせた計7日間をいいます。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるように、季節の変わり目にあたり、いのちの尊さや自然の恵みに感謝しながらご先祖様を供養する行事として、古くから行われてきました。
この期間中、全国の寺院では彼岸の法要が営まれ、また各家庭では「だんご」「おはぎ」「ぼたもち」などを仏壇に供え、そろってお墓参りに出かける光景が見られます。
お彼岸は、私たちにとって大変に馴染みの深い、欠かすことのできない年中行事と言えるでしょう。

この「彼岸」という言葉は、私たちが生きているこちらの世界(此岸・しがん)の対義として、貪りや囚われの無い「悟りの世界」を表しています。
苦惑にまみれたこの世がこちら側ならば、そこから抜け出た安らぎの園はあちら側「彼の岸・彼岸」ということになるのですね。
それでも私達は彼岸を、我が身我が心と共に、現代に生きながらにして求める他ありません。
だからこそ普段の行いを戒め、誠実になることで、少しでも迷いを脱して生きていこうと願い行動する、そのための修行期間が「お彼岸」なのです。

自己を見つめ直しましょう。
今日を生きられる有難さを、家族や友人とまた会える喜びを、その合わせた両手に込めて、お参りに出かけませんか。