考察

しかし今日は暑い。浜松まつりを終えたらさらに熱くなったという印象ですね。
先日は外気温30℃を越えた地域もあったと聞いておりますので、真夏の到来が思い遣られます。またうだるような酷暑の日々がやってくるのでしょうか。
お恥ずかしながら衣替えが全くできていないので、若干の小汗をかきながら日記を書いております。

さて今回は「国是・こくぜ」について、少し述べてみたいと思います。
突然どうしたのかという声が聞こえてきそうですが、なぜか急に気になったもので、ひとつ勉強がてら整理してみようかと思った次第です。
国是の「是・ぜ」という字には「良いもの」だとか「道理」という意味がありますが、例えばここに会社組織であれば「社」、国家共同体であれば「国」が頭に付いて前者なら「社是・しゃぜ」、後者なら「国是・こくぜ」になります。
社是は会社の基本方針、国是は国家の基本方針とでも言いましょうか、もはや場合によっては存在意義、理念や理想すら表す言葉としてこの「社是」や「国是」はあるものと思います。
ならば我が日本の国是は何であろうか?と思うわけで、そこで当然浮かぶのは日本国憲法の内容。具体的に言えば「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」という三大原則がこれに当たるのではないかと想定したのですが、これらは国そのものの在り方を形容する言葉ではないですし、やはりどうも違うようなのです。
実は今の日本には明確な国是というものが存在しないらしく、それはどうやら戦後の政治的統治に原因があるそうです。
その昔は五箇条の御誓文が日本の国是として扱われていました。明治時代の日本ですね。御誓文の後文には「斯国是・このこくぜ…」と明記されておりますので、間違いのない事実だと思います。
それが後の大日本帝国憲法制定への足掛かりとなるので、近代国家へと成長するための礎として極めて大事な要素、基本方針だったわけです。
しかし昭和20年以降の終戦処理のなかで、国是のみならず様々な制度はほとんど新しいものに置き換えられ、新憲法の発布とともに日本の国是は歴史の遺物となってしまったのです。

ちなみに当時の日本、特に教育機関が扱っていた教材等を見ると、現代の学校教育現場には到底見られないような鮮やかな言葉が沢山あります。
それを今の人々がどう解釈しどう受け取るかは別問題ですが、そこに故きを温ねる価値は充分にあるのではないかと思いました。
以上、本当に少しばかりかじった程度の考察でしたが、100年程度でも遡れば、今の日本とは全然違った社会の様子を感じられるのは、とても興味深いものです。
また何か気になりましたら、思うままに書いてみようと思います。合掌。

お葬式を迎える前に②

お葬式とは誰にとってみても待った無しの、突発的なものです。
計画的にできるものではないし、少しでも早く火葬までのスケジュールを決めてしまいたいという喪主様のお気持ちもよくわかります。

しかし、待ってください。
たまにお葬式の日時指定が厳しすぎることがあるのです。

誤解なさっている方にお伝えしたいのですが、お葬式だからといって誰のいかなる予定よりも最優先にして良いわけではありません。
例えばその日、既に他の檀家さんの法事が予約されていたり、大切な記念行事が前々から組まれていたりする場合は、当然ながら社会的常識に則って先約優先を守ります。(これは裏を返せば、あなたが予約していた法事は、後から入った予定がたとえお葬式であっても、それで覆すようなことはしない、ということです。)
人寄せの公式行事として重要度に優劣は無くどれも同等ですし、急に欠席したり予定を変えてもらったりすることを、絶対に避けるべき行事もあるのです。
このような場合、喪主様にはその日を避けていただき、お葬式は別の日時にしていただきます。

そして、根本的なことをひとつ、加えさせていただきます。

仏式行事を取り仕切るのは住職。その住職が師匠となり、故人を弟子として仏の位に就かせるための行事が”お葬式”であって、それは以降数十年にわたって続くご供養の出発点です。
それに、そんな極めて大事な儀式を務めるにはそれなりの準備も必要なわけですから、基本的には住職(お寺)の予定を重視していただきたいと存じます。
もちろん喪主様のご意向も鑑みて、日時調整はできるだけいたしますが、無理をして予定をねじ込んだり、先約をいただいていた方に迷惑をかけたりしてまでリスケジュールをするつもりはありません。

あくまでもケースバイケースな話ではありますが、以上2点、常日頃からくれぐれもご承知おきください。何卒よろしくお願いいたします。