ある日、檀徒の方からこんなご質問をいただきました。
「お墓参りに行くのにお塩は必要ですか?」
お塩はお清めの道具として全国各地で古くから使われてきたものですが、仏式行事の一環で使用することは通常ありません。正確に言えば神道行事「神事」の中だけで穢れをはらうための道具であり、至極限定的な場面でしか使用されないものと捉えて良いでしょう。
お通夜や葬儀の場に「清めの塩」という名の小袋入りの塩が用意されていることがありますが、あれこそ神道の独特な習わしをダイレクトに踏襲した例だと思います。
公衆衛生のレベルが低い、今ほどの清潔さを保ちにくかった時代には、塩を用いることで、言うなれば手洗いの時の石鹸のような、強い消毒効果を期待していました。そこから発展して、葬送の現場でお清めのために頻繁に使用されることとなったわけです。
故人の枕元にある神棚に白い紙を貼って神様の目隠しをするのも、死は穢れであるという考えから生まれたひとつの慣習であると認識しています。
とは言え現場で当事者として葬送に立ち会うご家族やご親戚の方々としては、少しでも間違いなくご供養行事を進めたいと願うばかりでしょう。
そのような時に頭ごなしに「それはダメ」とか「これが正しい」などと、一生懸命に設えていただいた折角のお心遣いを、無碍に取り扱うのは何だか違う気がします。
それに日本に於いては、たった百数十年前までは、神道と仏教は今ほど別々な扱いをしていたわけではありません。むしろ元々は分け隔てのない信仰をいただく宗教でした。だとすれば祀り方にもある程度の寛容さがあって然るべきと考えます。
しかし、話を戻してお塩ですが、実は「塩」の科学的性質が問題になるのです。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/wg_01/wg_10/pdf/shiryo_5.pdf
https://stone-c.net/report/3955/2
岩石の風化を早めて強度を下げ、表面を荒らし、急激な劣化につながるわけですね。やはりこれは良くありません。なので、お墓参りに塩は控えるべきでしょう。
そもそも献花やお線香をお持ちいただくと思いますが、それこそが既に塩に代わる「お清め」の道具になっていますからね。何もご心配は要りません。
この度このようなご質問をいただいたことで、私としても改めて勉強になった次第です。至心合掌。