天命/運命/宿命/使命とは

人生は人知を超えた多くの要因に左右される「旅」のようなものです。しかしその一方で、同時に私たち自身の選択によって如何様にも形が変わるものでもあります。
そこで、私たちがこの世の中でどのように生きるべきか、またどのように自分の役割や責任を理解すべきか、その枠組みを抽象的に表している言葉である「天命運命宿命使命」という四つの概念を考えてみます。

天命:天から与えられた不変の命令

天命は、天から与えられた不変の命令を意味し、人間の思考や概念を超越する「運命の到達点」と考えられます。これは、宇宙的な秩序や高次の目的を象徴し、人の行動とは無関係に定まっている運命の最終地点を指します。
天命を受け入れるということは、混沌とした世の中には天命が存在するということを認識しながら、人生には人間の力ではどうにもならない側面があるということを認めることに他なりません。
実際に何かを直接命じられたわけではないものの、認知の外側で存在する大いなる意思の如き「引力」がそれに相当するものだと考えられます。

運命:変化し続ける人生の軌跡

これに対して運命は、他者からの影響を受けつつ自発的な行動を繰り返し、絶えず変化し続ける人生の軌跡を指します。
運命は流動的であり、置かれた状況やその場の選択、相互作用によって常に形を変えます。天命が最終地点を表すのに対し、運命はその到達までの道のりです。この絶え間ない相互作用は、仮に運命の一部が定まっているとしても、人生の道筋は成長や変化に富んでいることを示しています。
運命とは決して固定的ではなく、常に変化する人生において、自分や他者の選択によってランダムに書き換えられていくもの、ということです。

宿命:受け入れざるを得ない人生の条件

宿命は、人生の前提として受け入れざるを得ない決まりごと、すなわち生まれながらにして与えられた環境や条件を総括した意味を持ちます。これは、自分で選ぶことのできない家族や生まれ育った環境、社会的な立場など、変更できない背景を包含しています。
宿命は、すべての要素が自分でコントロールできるわけではないことを認識させながら、ある程度の制約や与えられた状況を受け入れることの重要性も示しています。さらに、この受け入れは単なる諦めではなく、人生における必然的な要素を理解し、尚そこから出発することの大事さを意味します。

使命:人生の分岐点での選択と行動

最後に、使命は、運命が大きく動く分岐点において、自らの選択と行動を通じて引き受けるべき極めて重要な責任や役割を意味します。天命や宿命が外的な力によって定められているのに対し、使命は自らの思考や感性によって決定されるものです。
使命とは、運命の枠組みの中でどのように生きるか、どのように行動するかを選び取ることで、人生の意味を自分自身で定義する意思決定行為そのものです。それは単なる思索ではなく、実際の行動と選択を通じて、私たちがいかにして自分の人生を意義深いものにできるかを示しています。


まとめ

これら四つの概念を通じて、運命はあらかじめ定められたものではなく、いくつかの既成要素と選択の中における数々の行動によって段階的に織りなされるものであることが理解できるでしょう。
人生には変えられない側面があるのは事実ですが、自らの選択や決定によってのみ形作られる場面があるのも、また紛れもない事実です。これらの相互作用を理解することは、私たちがより意識的に生き、与えられた状況と選び取った未来への責任の両方を受け入れることにつながります。
宿命を持って生まれ落ち、天命に向かう一生。おりおりの使命に向き合う日々、振り返ればそれが運命であった。謂わばこのような関係性でしょうか。
少し難しいタイトルでの考察日記になりましたが、何かしら御心に響けば幸いでございます。合掌。

考察

しかし今日は暑い。浜松まつりを終えたらさらに熱くなったという印象ですね。
先日は外気温30℃を越えた地域もあったと聞いておりますので、真夏の到来が思い遣られます。またうだるような酷暑の日々がやってくるのでしょうか。
お恥ずかしながら衣替えが全くできていないので、若干の小汗をかきながら日記を書いております。

さて今回は「国是・こくぜ」について、少し述べてみたいと思います。
突然どうしたのかという声が聞こえてきそうですが、なぜか急に気になったもので、ひとつ勉強がてら整理してみようかと思った次第です。
国是の「是・ぜ」という字には「良いもの」だとか「道理」という意味がありますが、例えばここに会社組織であれば「社」、国家共同体であれば「国」が頭に付いて前者なら「社是・しゃぜ」、後者なら「国是・こくぜ」になります。
社是は会社の基本方針、国是は国家の基本方針とでも言いましょうか、もはや場合によっては存在意義、理念や理想すら表す言葉としてこの「社是」や「国是」はあるものと思います。
ならば我が日本の国是は何であろうか?と思うわけで、そこで当然浮かぶのは日本国憲法の内容。具体的に言えば「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」という三大原則がこれに当たるのではないかと想定したのですが、これらは国そのものの在り方を形容する言葉ではないですし、やはりどうも違うようなのです。
実は今の日本には明確な国是というものが存在しないらしく、それはどうやら戦後の政治的統治に原因があるそうです。
その昔は五箇条の御誓文が日本の国是として扱われていました。明治時代の日本ですね。御誓文の後文には「斯国是・このこくぜ…」と明記されておりますので、間違いのない事実だと思います。
それが後の大日本帝国憲法制定への足掛かりとなるので、近代国家へと成長するための礎として極めて大事な要素、基本方針だったわけです。
しかし昭和20年以降の終戦処理のなかで、国是のみならず様々な制度はほとんど新しいものに置き換えられ、新憲法の発布とともに日本の国是は歴史の遺物となってしまったのです。

ちなみに当時の日本、特に教育機関が扱っていた教材等を見ると、現代の学校教育現場には到底見られないような鮮やかな言葉が沢山あります。
それを今の人々がどう解釈しどう受け取るかは別問題ですが、そこに故きを温ねる価値は充分にあるのではないかと思いました。
以上、本当に少しばかりかじった程度の考察でしたが、100年程度でも遡れば、今の日本とは全然違った社会の様子を感じられるのは、とても興味深いものです。
また何か気になりましたら、思うままに書いてみようと思います。合掌。