お盆と神道

「お盆は仏教行事だから神道とは関係がないよね…」
そんな声を、時折耳にすることがありませんか。和尚は立場上しばしば聞く話です。しかしこれは、明治以降の制度的な神仏分離を、歴史的事実としてそのまま語ってしまっているような面があります。お盆の成り立ちを丁寧に辿るならば、その見方はいささか一面的と言わざるを得ません。

仏教が日本に伝わったのは6世紀のことです。しかしそれ以前から、日本列島に生きた人々は「死者の霊は年に一度、この世に帰ってくる」という感覚を持っていました。
夏の農耕の節目に祖先の霊を迎え、もてなし、送り出す。この伝統的な営みは、仏教伝来をはるかにさかのぼる、日本古来の霊観に根ざしています。
ですから、仏教はこの盤石な土台の上に乗り、根を張った、と理解するのが自然です。

仏教的なお盆の根拠となるのが『盂蘭盆経』に記された目連尊者の物語です。
神通力を持つ弟子・目連が、亡き母の餓鬼道での苦しみを知り、釈尊の教えに従って僧侶たちへ供養を施したところ、母が救われた。この話が、先祖供養の仏教的文脈を形成しました。
606年、推古天皇の時代に宮中で最初の盂蘭盆会が行われたと伝えられ、675年には天武天皇が勅命によってこれを制度化しました。以来、盂蘭盆会は奈良・平安の寺院行事として定着し、やがて庶民の暮らしの中へと広がっていきます。

ここで押さえておきたいのが、明治の廃仏毀釈(1868年〜)以前における「神仏習合」の実態です。
神社の境内に仏式伽藍が建ち、僧侶が読経し、寺には鎮守の神が祀られる。「神は仏が姿を変えてこの世に現れたもの」という本地垂迹の思想のもと、神と仏は一体のものとして信仰されていました。
この時代、先祖の霊は「精霊(しょうりょう)」と呼ばれ、仏でもあり神に近い存在でもありました。
お盆の迎え火・送り火・盆棚への供物・盆踊り、これらの行為は仏教的供養であると同時に、神道・民俗的な霊迎えの所作でもありました。両者を分けて考えるという発想自体が、当時の人々には無かったのです。

神道の観点から見ても、「魂祭り(たままつり)」「祖霊祭(それいさい)」「御霊会(ごりょうえ)」といった先祖・霊を祀る行事が古くから存在します。
神道では、死者の霊は「祖霊」となり、やがて氏神・地域の守り神へと昇華するという観念があります。この「霊が神になる」という思想は、仏教の「成仏する」という考え方と、習合の時代にはほぼ同一視されていました。
両者の間に本質的な断絶はなく、むしろ深いところで繋がり、響き合っていたのでしょう。

以上を踏まえて、私はお盆をこのように整理しています。日本のお盆の「概念」は仏教由来、「行事全般の形式」は神道・民俗由来、と。
なぜ先祖を供養するのかという問いへの答えは、盂蘭盆経・目連尊者の物語という仏教的文脈が担っています。一方、どのように迎え送るのかという行為の形は、迎え火・送り火・精霊馬・盆踊りといった、日本古来の霊迎えの慣習が担っています。
「意味の器」は仏教が、「行為の形」は日本の民俗や神道が提供した。この役割分担の上に、今日のお盆は成り立っているのです。

明治の神仏分離令は、制度として宗教を切り分けました。しかし民間の感覚はそれほど単純ではなく、お盆に墓参りをして迎え火を焚き、手を合わせる行為の中に、仏教と神道と古来の霊観が今も重なり合っています。
「仏教か、はたまた神道か」という問いかけ自体、大変な歴史的事情を経てきただけに、近代以降に生まれるべくして生まれたものかもしれません。ただ、その問いが生まれる以前から、確かに日本人はいつも粛々と祖先を迎え、供物を捧げ、感謝し、送り出してきた。その静かな営みの連続が、今日に脈々と伝わる「お盆」という行事の本質なのではないでしょうか。