1・はじめに
「暑さ寒さも彼岸まで」
こんな言葉に代表されるように、お盆と双璧をなす2大仏式行事でありながらも、彼岸はもはや宗教の枠すら越えて馴染んだ、国民生活の一部となっております。
しかし、一般的だからこそ曖昧なままの部分や、周知されていない本質が多分に残っている慣習と感じています。
なので、少しばかり具体的な解説に踏み込むことで、この記事をお読みいただいた以後、お彼岸を迎えるにあたってのお心構えに寄与すれば、望外の喜びであります。
是非、ご参考にしていただきたく存じます。
2・彼岸とは
彼岸はサンスクリット語の「Pāramitā・最高」を語源とし、音訳すると波羅蜜多と表され、意味を漢訳して彼岸(到彼岸)となります。
お釈迦様の説く理想の世界は「涅槃」としても表現されますが、それはさらに滅や寂滅、涅槃寂静とも漢訳され、無為無作、不生不滅とも意訳されます。
人はともすれば物事に執着し苦悩しますので、そういった雑音の消え去った状態を「滅」と言い、心の安定した静かな様子でありますから、それは彼岸にも繋がります。
澄み渡った悟りの世界を「彼の岸」とすることで、その対極にある迷いと煩悩の世界を「此の岸」と表す、理想と現実を比較した様子が、この言葉の前提にあり、悟ることそれこそが「彼岸に至る = 到彼岸」となるわけです。
3・歴史
日本人の大多数が知るところの「お彼岸」ですが、仏教が伝わる以前より民間では「古神道系の農耕儀礼」が行われており、既に基礎的概念は育まれていたようです。
自然を畏怖し神と崇める原始的な宗教を元にした太陽信仰、彼岸はそこから発展した思想であるが故に、仏式行事と言えども日本独自の宗教観で成り立っています。
平安時代には、阿弥陀仏によって極楽浄土に往生し成仏することを説く「浄土思想」が普及するのですが、それに於いて浄土と言えば一般的に「西方極楽浄土・さいほうごくらくじょうど」を指します。
それが古来の太陽信仰と相まって、日が沈む方向の「西」を向いて拝むことは、極楽浄土に向かってお参りすることにもなる、と考えられたのです。
さらに彼岸は、お釈迦様の説く「中道」という考え方にも準拠します。
これは「苦楽や善悪などという人間の勝手な価値尺度で、どちらか一方に偏ること勿れ」という教えです。
春分の日と秋分の日の両日は、真東からのぼった太陽の南中高度(太陽が一日で最も高く上がったときの地平線との間の角度)が高低の中間点に位置し、昼夜がちょうど等分されることから、中道の教えに叶う日とされました。
そして日没の方向も真西になるので、先の浄土思想から考えても最良最適な礼拝日となりました。
これらのことから、彼岸行事は春と秋それぞれの行事とされ、徐々に世間へ周知されていったのです。
「彼岸会・ひがんえ」という行事そのものの起源については諸説があるようですが、西暦806年の桓武天皇による以下の追善供養がとりわけ有名な話です。少し紹介いたします。
桓武天皇の実弟に早良親王という方がおりました。彼は当時の皇位継承問題の渦中で政治的な疑いをかけられ流刑にされ、無実を訴えつつも無念の死を遂げてしまいます。
その後、桓武天皇の周りでは、母の病死、原因不明の疫病、洪水、日照りなどの天災が相次いだことから、それらは全て早良親王の祟りに起因しているのではないかと噂されました。
桓武天皇は、どうにか早良親王の念を鎮めるべく、毎年春分と秋分をはさんだ各7日間、諸国の国分寺にて大勢の僧によるご祈祷をし、懇ろに供養することを推進します。
現在お彼岸が春秋ともにお中日(春分と秋分)を挟んで「計7日間」とされている由縁は、ここにあるといわれています。
4・目的と内容
では、お彼岸の7日間をどう過ごすか。
お墓参り、お寺参り、お仏壇周りの掃除など、もとより普段以上に丁寧に取り組んでいただいていることと思いますが、折角ですからさらに深いところへ意識をもっていきましょう。
お彼岸は、大事な人生を、日々を「生きる」ということについて、真正面から考えてほしい期間。
より良く生きるための仏道修行として、彼岸は以下の「六波羅蜜・ろくはらみつ」の実践を命題とします。
1 布施(ふせ) ・ 物も心も惜しまず、見返りを求めず、喜んで与える。
2 持戒(じかい) ・ 悪い行いを自ら戒め、決してしないことを誓う。
3 忍辱(にんにく) ・ 感情におぼれず辛抱し、相手の非を赦し、腹を立てない。
4 精進(しょうじん)・ 日々為すべき事に励み、善行を積み真摯に努力する。
5 禅定(ぜんじょう)・ 穏やかな心で精神一到し、目前の任にまっすぐ取り組む。
6 智慧(ちえ) ・ 物事を正しく見据え、正しく理解し、明晰に判断する。
先ずは1〜5を充実させて、最後に挙げた6番目の「智慧」の完成を目指します。
これらの徳目「六波羅蜜」を守ることによって到彼岸、すなわち悟りの世界、仏の世界へ行くことができる、これが彼岸の教えの根幹となっています。
普段通りの先祖供養をしながらも、お彼岸は同時に「日頃の生活態度を省みる」自分磨きの機会にもしていただきたいのです。
5・付記
かつて徳川家康公は、戦場にて「厭離穢土欣求浄土・おんりえどごんぐじょうど」と銘打った旗を掲げていました。
この言葉には「苦悩の多い穢れたこの世から離れたいと願い、平和な極楽浄土を心から冀う」という意味があります。
彼が命懸けで目指した万民泰平の世は、天下統一から約260年間続いたわけですが、倒幕後150年余り経った現代に、その志は保たれているのでしょうか。
こんなに便利で食料やモノが潤沢な世の中であっても、心を病み、自死に追い込まれるような方々は後を絶ちません。
また、怨恨による凶弾や凶刃で一瞬にして命が奪われるような事件や、国同士の思惑の違いから始まった戦争による犠牲者が毎日のように報道される現実が、まさに目の前にあります。
人間たったひとりの行動だけで何が変わるというのか、それは非力かもしれません。
しかし微々たるものだとしても、お互いの弛まぬ努力と積み重ねがあれば、歪んだ世の中の軌道は少しでも修正されるはずなのです。
上記、六波羅蜜の教えを改めて胸に刻んで、生きてほしいと願います。
6・おわりに
思いに耽るあまり心ここにあらず盲目になって、「ながら」な過ごし方をしていませんか。
過去を悔やみ未来を憂うばかりで、今という唯一無二の刹那を捨て置いていませんか。
一期一会の出来事に対して誠心誠意を尽くし、じっくりと向き合えているでしょうか。
時々刻々と老いに向かい、病気や怪我をおそれる世界から、誰しも決して逃れることはできません。
常の日暮らしに追われるばかりの処世以外に、あなたが居られる場所はありません。
でも、大切な家族や共に笑える仲間と助け合い、皆同じ時の中で生涯を送ることができます。
その身に流れる真っ赤な血潮は、悠久の時を超えて後生を願った先人達のバトンです。
だからこそ、ここで不満をこぼすのか、それとも「おかげさま」と感謝するのか、心の振る舞いを正す物差し次第で、あなたの目前は此岸にも彼岸にも為り変わるのです。
・参考文献
栽松大成『彼岸とお彼岸』
『お彼岸の善知識』開山堂出版
『お彼岸を知る辞典』開山堂出版
『曹洞宗梅花流詠讃歌・梅花流指導必携・解説編』曹洞宗宗務庁
・ページトップ写真
「大文字山の夕暮れ」https://photo53.com/yukei-kyoto.php
曹洞宗梅花流詠讃歌
〜彼岸御和讃〜
山川険しき世なれども 仏の教えひとすじに
彼岸に至るしあわせよ あああめつちに陽はうらら
久遠の救いここにあり
あまねく施し戒めて 日に夜に励むもろびとに
彼岸の花の美しさ ああ爽やかにこの宴
妙なる調べ夢ならず
心を定めて腹立てず 祖先に祈りこめてこそ
彼岸を迎う親も子も ああいまひらくこの悟り
嵐もしばし雪もやむ
〜彼岸御詠歌〜
親も子も 仏の道に変わりなし
生きて彼岸を迎うしあわせ 迎うしあわせ
空青く 松も緑のみ仏に
子らが捧げる彼岸花かな 彼岸花かな
み仏も しあわせ満ちておわすなれ
彼岸会の朝 香華満ち満つ 香華満ち満つ